2022.05.11
都内から新幹線で長野駅経由の上越妙高駅で下車。
そこからタクシーを利用して、日本のワイン葡萄の父と称される川上善兵衛氏が立ち上げた「岩の原葡萄園」を訪問させていただきました。
上越妙高駅からタクシーで25分くらいだったと思います。
道中、車から見える景色は、一面に広がる田圃。この土地がまさに“米の名産地”であることを感じさせてくれました。
「このようなところに、本当にワイナリーがあるのかな?」と少し不安になりましたが、無事に到着。
ワイナリーのスタッフの方が迎えてくださり、すぐに館内を見学させていただきました。
まず善兵衛記念館で、同氏が取り組んだ葡萄の交配やワイン造りの歴史を学び、“雪室”という冬に積もった雪の貯蔵庫や、明治27年建造の日本最古といわれている立派な石倉も見せていただきました。
そしていよいよ日本のワインの礎を築いてきた高台にある葡萄畑へ。日本海を見渡せる葡萄畑に立つと、言葉では言い表せないほどの感慨深いものがありました。
その後、社屋に移動し、代表的な「深雪花(みゆきばな)」をはじめ、同社の最高峰赤ワイン「エリテイジ」(マスカット・ベーリーAとブラック・クイーンのブレンドワイン)を含む6種類のワインを試飲させていただきました。
どのワインも北の産地らしいフレッシュで純粋な酸味を有し、奥ゆかしい味わいで感無量でした!
スタッフの皆さんの親切で丁寧なご対応に、たいへん感謝です。
ではここで創業者の川上善兵衛氏の功績を少しご紹介しましょう。
それはなんといっても「日本の葡萄品種の礎を築いた」ことです。
交配の回数は10300回にもおよび、当時のありとあらゆる品種を掛け合わせたといわれています。
その努力が実り、1927年にマスカット・ベーリーAが開発され、2013年にOIV(国際ブドウ・ワイン機構 ※)で日本固有の品種として登録されました。
もちろん私も、このOIV登録の際に標本となった古い葡萄樹を見させていただきました。
※OIV:フランス語「Organisation Internationale de la vigne et du vin」の略称。
川上善兵衛氏のご実家は、かつてこの土地から日本海までの広いエリアを保有する大地主だったそうです。
勝海舟を恩師として頼り、14歳頃には東京の赤坂にある勝の自宅にもしばしば訪問。
そして1890年に22歳若さで葡萄園を開園します。1902年には皇太子(後の大正天皇)が葡萄園に来遊。
1904年に日露戦争で陸・海軍の衛生材料として善兵衛氏のワインが採用されたことで、認知度も高まります。
善兵衛氏は「地域に貢献し、地元に恩返しをしたい」という強い信念のもと、地元の葡萄を育成し、地元の人の雇用を生み出すことに奔走したそうです。
ですがその結果、あまりに従業員が増え、徐々に経営を圧迫するようになり、借金も膨らみ負債が減らない状況に陥ります。
そんな彼の苦境に救いの手を差し伸べたのが、サントリーの創業者 鳥井信治郎氏だったそうです。
信治郎氏は、1907年に赤玉ポートワインを発売。国内産の葡萄だけでワインを生産できないかと模索していた時に、日本醸造会の礎を築いた坂口謹一郎氏を通して善兵衛氏と出会います。
信治郎氏は当時の善兵衛氏の借金をすべて肩代わりしただけでなく、二人で新たな会社を立ち上げ、善兵衛氏が研究に没頭できる環境を整えてくれたのだそうです。
その後も信治郎氏は、研究者として高い志を持つ善兵衛氏を支援していきます。
日本の国産葡萄による、日本のワインを造る。同じ志を持ち、日本のワイン造りの礎を築いた先人たちの熱い心に思いを馳せ、私自身も日本のワインのために何ができるのか、どうしていくべきかをあらためて考え直してみる良いきっかけとなりました。
次回は、気軽に楽しめる新潟の郷土料理とワインや日本酒について、述べていきたいと思います。
ご期待くださいませ。
森上 久生(もりがみ ひさお)
1968年、大分県佐伯市生まれ。資生堂パーラー本店やレストラン サンパウ、ベージュ アラン・デュカス東京のシェフソムリエを歴任し、 2013年5月に独立。現在、ワインインポーターのアドバイザー、レストランの監修、欧州のワイナリーを主体とした海外ツアーの企画・アテンド、ワイン関連雑誌のコメンテーター、テレビドラマの出演者所作指導など、多岐にわたって活躍。ホテル椿山荘東京主催「日本で飲もう最高のワイン」審査員。2016年よりワイン・オブ・ジャーマニーのメインセレクター。2018年、初めての著書『ワインと料理 ペアリングの楽しみ方』を出版。2019年よりコマラジ(狛江エフエム)の『地方創生BAR』に出演中。
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